旅日記 コルカタ インド編⑥

コルカタ     コルカタ、別名カルカッタとも呼ばれるこの地は、駅から出てすぐにココがそうであると認識できるほど熱気と活気に溢れる街であった。 そこら中に散らばったゴミ、それに群がるカラス達、店頭に並んだ魚や肉の生臭い匂い、喧嘩をしているような人々の話し声、車のクラクション。うるさい、汚い、臭いの三拍子である。僕らはまず、インドでも今では珍しいリアカー式の人力リキシャに乗って安宿の集まる地区”サダルストリート”へと向かった。 リキシャを降りるや否や、通りにいる若者達に話しかけられる。それも流暢な日本語だ。かなり怪しい。このサダルストリートはバックッパッカー達が集うことで有名なエリアで、それを狙った怪しいやつも多い。後から宿のおっさんに、「日本語で話しかけてくるやつには絶対に着いて行くな」と注意された。実際に被害にあった者も宿に何人かいるようだ。マリアという安宿に泊まった。値段は交渉して一人300か250rsだったか、はっきりとは覚えていない。ムンバイ、デリーと並び、大都市であるコルカタも宿の相場は少し高めのようだ。 部屋で休んでから昼飯を食べに出かける。ダージリンで知り合った男性に教えてもらった”ブルースカイ”というレストランへと向かうことにした。ここは宿からもとても近く、店内はクーラーも効いているのでとても快適だ。僕はここでPaneer Tikka

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旅日記 ブッダガヤ〜ダージリン インド編④

ブッダガヤ〜ダージリンへ     いざ、ダージリンへ向かうべく列車のチケットを前日に代理店で購入した。 というのもダージリンに最も近い駅”New Jalpaiguri”まで行くには、まずパトナーという街まで移動してから列車を拾わなくてはならない。ガイドブックで調べたところ、ここブッダガヤから直行のバスが有るとの事。これは便利だと思い、時間に余裕を持ってバス停まで移動した。しかし、いざ到着してみるとバスの来る気配が全くない。どうしたものかと辺りを見回すと、観光案内所らしき建物を見つけた。中にいるスタッフ(呼んでも中々出てこなかったが)に話を聞くと、そのバスは今は運行していないらしい。パトナーまで行くには、ここからオートリキシャを拾い少し離れたバス停まで移動してから向かうしかないとの事であった。しかもそのバスが昼の2時で最終だと言うもんだから、これはもたもたしている訳にはいかない。今は午後の1時過ぎ、急いでリキシャに飛び乗った。 再び田園風景から小さな村のような地帯に入り、幾つもの細い路地を急ぎ足で曲がって行く。本当にたどり着くのかと心配になったが、何とかバス停まで来ることができた。だが、こちらも人影は少ない。時刻は2時前。リキシャの運転手に本当にバスは来るのかと尋ねると、実はあまりよく知らないとのこと。バス停の場所は確からしいのだが。 ドキドキしながら10分ほど待っていると、1台のバスがやってきた。これがそうだ!と、声を張り上げる運転手。何とか間に合ったと胸を撫で下ろしたのも束の間、バスの中は超満員。ここから駅までは実に4時間ほど掛かる。勿論座席はなく、自分の足場を確保するのもやっとの思い。乗客を詰め込むだけ詰め込んでバスは発車した。 初めの1時間はそこまで苦では無かった。外の景色を眺めながらのんびりと過ごしていたが、徐々に脚が疲れてくる。横の座席にもたれて姿勢を変えながらもう1時間、ごまかしながら来たが流石にクタクタである。相方も相当疲れているようだ。僕等の意を察したかのように、バスは休憩所へと停車した。外に出てタバコを吸う。これから、まだ1時間以上立ちっぱなしなのかと思うと気が滅入ってくる。と、バスの上を見上げると屋根の荷物置き場に人が乗っていた。もう車内で立ちっぱなしであるならば、いっその事に屋根へ登ってやろう!との事で二人でバックパックを抱えよじ登った。 走りだしたバスは、風を切って進む。ここから見える景色はとても広い。流れる木々や、すれ違うトラック。青い空はどこまでも続き、子供達はこちらに手を振ってくる。うかうかしていると電線に引っかかりそうになる街中はスリル満点で、建物の2階から顔を覗かせる人達と目が合う。子供の頃は、よく車の天井から顔を出して怒られた。今はバスの上からインドを眺めて走っている。こんな気持ちの良い事が他に有るだろうか!と、とても興奮していた僕らに他の乗客達も話しかけて来た。何処から来たのか、何処へ行くのか。インドは好きか?とか。何処から来て何処へ行く。遠い未来を見つめた時、そんなものは知らないし分からない。感じながら、ただ進んで行くだけ。 パトナーへ着く頃には辺りの雰囲気もガラッと変わり始める。オートリキシャやトラック、乗用車から出る排気ガスにまみれながら、コンクリートで整備された広い道路を走っていた。列車の時刻は夜中であったので、街中で時間を潰した。バックパックを背負いながら歩き周るのは、かなり骨の折れる思いだ。 12時間程掛かり””New

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旅日記 ブッダガヤ インド編③

ブッダガヤ     列車に3時程揺られ、ガヤという駅へ到着する。 ここからブッダガヤまでは少し距離があるのでオートリキシャを捕まえた。勿論、交渉次第で値段は左右される。そこから15分程、穏やかな田園地帯を横目に走りブッダガヤに到着した。町自体は小さく、歩いても十分周り切れる広さだ。仏陀が悟りを開いた事で有名なこの地には沢山の寺院が建っている。ネパール寺、チベット寺、タイ寺、そして日本寺などルンビニと似通った所があるようだ。 オートリキシャの運転手に言われるがまま、少ししっかりとしたホテルに連れて行かれてた。どうやら客を連れてくると幾らかのマージンを受け取ることができるらしい。なので駅から走るオートリキシャは皆馴染みのホテルに連れて行こうとする。値段を聞くとやはり高い。と言っても二人で1500円程度なのだが。体調がまだ芳しく無かったということもあり、今夜は仕方なくここに宿泊する事に決めた。まあキッチリ交渉して安くしてもらったのだが。 辺りを散歩していると、まだ完全に整備されていない道路がちらほら。うっかり歩いていると足を踏み外し、水溜りに転落してしまいそうだ。この日は日本寺に足を運んだ。ちょうど訪れた時に座禅の時間が設けられていたので、二人でそれに参加した。あぐらを組み背筋を立て、手は握るか握らないかの状態で肘を軽く太ももに乗せている。目は完全には閉じず半目である。住職が言うには、姿勢は然程重要では無く、何も考えないことが大切なのだということだ。何も考えない、というのは思ったよりも難しい。普段は無意識のうちに色々な事を考えてしまっているようだ。だが、何も考えなくてもいいと言われると何だか気が楽になる。まるで物事が静止することを許されているような感覚だ。常日頃から何かしなければと考えてしまう自分にとっては、とてもいい時間なのだとその時思った。 20分ほど座禅を組んで(結局、無心の状態で居れたのは3分程だったが)別の日本寺へと向かった。ここの住職はとても親切な方で、話していると神戸の出身であるとのことであった。関西にも寺がありインドと日本を行き来しながらお勤めをしているらしい。仏教の成り立ちや概念などを色々と教えてくれた。日本人は自然と仏教を学校や社会で学んでいるのだと、とても興味深い内容であった。外国を旅行していると君の宗教は何だ、と聞かれることが多い。自分は仏教徒なのだと発言することに躊躇いが無くなった。 ホテルの部屋はとても快適で、久しぶりにゆったりと寛ぐ事が出来た。柔らかいベッドに綺麗なシーツ。部屋に備え付けられたトイレや温水シャワー、そんな母国では当たり前の事が今ではありがたい。だがここでダラダラとしているわけにもいかないので、次の日は安いゲストハウスを見つけて移動した。1人150ルピー、狭いが水周りが完備されているので申し分ない。 宿に向かう途中、道端にテントで店を構えるラッシー屋を見つけた。滴が垂れる程に冷やされた甘いラッシー。このクソ暑いインドでは心に沁みるようだ。 夕刻には雨が降り出したので宿でのんびりと過ごした。廊下の窓から外の道路を見る事が出来るのだが、こちらでは傘をさしている人が少ない。ずぶ濡れになっても気にはしないようだ。牛達もそれがどうした言わんばかりに、堂々と道を歩いていた。だって雨は命の水でしょ?という顔をして。 次の日に僕らはいよいよブッダガヤの本命、大菩提寺にある”菩提樹”を訪れた。 「菩提樹」 “仏教の開祖 ゴータマ・ブッダがその木の根元に座って悟りを得た菩提樹 (Ficus religiosa、インドボタイジュ)とその挿し木による子孫である。 菩提樹の名前は、菩提がゴータマ・ブッダの別名であったボーディー

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旅日記 ルンビニ ネパール編④

ルンビニ     ポカラから山道を走ること約8時間、バスはルンビニという土地に到着した。 ここは仏教徒にとって、極めて神聖な土地である。なぜならブッダが誕生した地がここであるからだ。 とても自然に溢れていて、町と言うよりは村と言った感じである。 バスを降りてからとりあえず宿を探すことに。だが全く当てがない。そこで同じバスに乗車していた女性2人組のツーリストの後を付いていくことに。大体の場合、大きなバックパックを背負ったツーリストが向かうのは安いゲストハウスなのだ。 案の定、彼女達はゲストハウスらしき所へと入って行った。僕も中に足を踏み入れて話を伺う。どうやら片方のツーリストはもうすでに部屋を予約していたらしいのだが、もう1人はこのツーリストに付いて来ただけらしい。僕はシングルルームの値段をスタッフに確認する。一部屋500ルピー。ここらにしては少し高めである。 もう1人のツーリストも同意見らしく宿泊を渋っている様子。するとスタッフが”2人で同じ部屋に泊まるなら1人300ルピーでツインルームに泊まれる”と言い出した。彼女と顔を見合わせる。僕は別に構わないと伝えると、向こうもその方が安くて助かるとのこと。こうしてルンビニのゲストハウスはオーストラリア人の女性と2人で泊まることとなった。 この日はもう日が暮れかけていたので、辺りを散歩するだけに留まった。 1km程歩くとツーリストの影は無くなり、地元の人々の生活がそこには広がっていた。 畑で遊ぶ子供たち、晩飯を作る女性、チャイ屋で何やらゲームをしている男性達など本当に村だなという感じであった。 ここには沢山の寺が密集している。しかもかなり国際的でネパール、タイ、インド、チベット、カンボジア、日本などなど仏教にまつわる国々の寺が建てられている。 国々よって形、大きさ、仏像の顔も大分違う。とても面白い。 次の日、寺巡りはゲストハウスで知り合った若い中国人の女の子とオーストラリア人女性と僕との3人で周った。 それぞれの寺は200mか300mずつぐらい離れていて、このクソ暑い時期に全てを訪れるのはかなりの苦行である。僕らはガイドも雇って行ったのだが、もちろん英語なので僕は殆ど理解できなかった。 こちらはタイの寺院。 とても華やかな門構えである。 何かお祈りをしている姿もちらほら。 とりあえず歩き続けて朝から昼間でに7カ所ぐらいは周っただろうか、流石にこれ以上歩くのは体力的にキツイとの事で宿の方へ帰り昼食をとった。 この日はチョウメン(焼きそば)と春巻きを注文したのだが、春巻きがいつまで経っても来ない。”まだか”と訊ねると”あと5分”と言うやり取りを3 4回くり返しただろうか、結局注文から1時間半後にやって来た。 もうお腹は時間のせいで膨れてしまっている。だが注文したので食べなければ、と思い無理やり口に入れる。 味はかなりまずかった。 さて、気を取り直し午後からは日本寺へと向かう。 実は日本寺はスタート地点からは一番遠く、約5km程歩かなければならない。 オーストラリア人は疲れ果てたのか午後の部はキャンセル。 ゲストハウスの前でガイドを待っていると、彼は自前のバイクでやって来た。 そんなこんなでバイクに三ケツし、日本寺へと向かった。インドに来てから初めてバイクに乗ったのだが、とても爽快であった。道を歩く人々も僕らを不思議そうな目で見ていた。 日本寺は思っていたのとは少し違い、真っ白な縦長の建物であった。 階段を登るとグルっと一周出来るようになっており、所々に日本式の仏像や南無阿弥陀仏などの文字が彫ってあった。敷地内からは和太鼓の音も聞こえていた。 その後はまた別の寺へ足を運んだ。 ここは恐らくカンボジア寺だったであろうか、よく覚えていない。 僕らも流石に疲れてきていたので、ここを最後に帰路へとついた。 この日の夜はW杯 ブラジルvsドイツ

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