旅日記 ブッダガヤ〜ダージリン インド編④

ブッダガヤ〜ダージリンへ     いざ、ダージリンへ向かうべく列車のチケットを前日に代理店で購入した。 というのもダージリンに最も近い駅”New Jalpaiguri”まで行くには、まずパトナーという街まで移動してから列車を拾わなくてはならない。ガイドブックで調べたところ、ここブッダガヤから直行のバスが有るとの事。これは便利だと思い、時間に余裕を持ってバス停まで移動した。しかし、いざ到着してみるとバスの来る気配が全くない。どうしたものかと辺りを見回すと、観光案内所らしき建物を見つけた。中にいるスタッフ(呼んでも中々出てこなかったが)に話を聞くと、そのバスは今は運行していないらしい。パトナーまで行くには、ここからオートリキシャを拾い少し離れたバス停まで移動してから向かうしかないとの事であった。しかもそのバスが昼の2時で最終だと言うもんだから、これはもたもたしている訳にはいかない。今は午後の1時過ぎ、急いでリキシャに飛び乗った。 再び田園風景から小さな村のような地帯に入り、幾つもの細い路地を急ぎ足で曲がって行く。本当にたどり着くのかと心配になったが、何とかバス停まで来ることができた。だが、こちらも人影は少ない。時刻は2時前。リキシャの運転手に本当にバスは来るのかと尋ねると、実はあまりよく知らないとのこと。バス停の場所は確からしいのだが。 ドキドキしながら10分ほど待っていると、1台のバスがやってきた。これがそうだ!と、声を張り上げる運転手。何とか間に合ったと胸を撫で下ろしたのも束の間、バスの中は超満員。ここから駅までは実に4時間ほど掛かる。勿論座席はなく、自分の足場を確保するのもやっとの思い。乗客を詰め込むだけ詰め込んでバスは発車した。 初めの1時間はそこまで苦では無かった。外の景色を眺めながらのんびりと過ごしていたが、徐々に脚が疲れてくる。横の座席にもたれて姿勢を変えながらもう1時間、ごまかしながら来たが流石にクタクタである。相方も相当疲れているようだ。僕等の意を察したかのように、バスは休憩所へと停車した。外に出てタバコを吸う。これから、まだ1時間以上立ちっぱなしなのかと思うと気が滅入ってくる。と、バスの上を見上げると屋根の荷物置き場に人が乗っていた。もう車内で立ちっぱなしであるならば、いっその事に屋根へ登ってやろう!との事で二人でバックパックを抱えよじ登った。 走りだしたバスは、風を切って進む。ここから見える景色はとても広い。流れる木々や、すれ違うトラック。青い空はどこまでも続き、子供達はこちらに手を振ってくる。うかうかしていると電線に引っかかりそうになる街中はスリル満点で、建物の2階から顔を覗かせる人達と目が合う。子供の頃は、よく車の天井から顔を出して怒られた。今はバスの上からインドを眺めて走っている。こんな気持ちの良い事が他に有るだろうか!と、とても興奮していた僕らに他の乗客達も話しかけて来た。何処から来たのか、何処へ行くのか。インドは好きか?とか。何処から来て何処へ行く。遠い未来を見つめた時、そんなものは知らないし分からない。感じながら、ただ進んで行くだけ。 パトナーへ着く頃には辺りの雰囲気もガラッと変わり始める。オートリキシャやトラック、乗用車から出る排気ガスにまみれながら、コンクリートで整備された広い道路を走っていた。列車の時刻は夜中であったので、街中で時間を潰した。バックパックを背負いながら歩き周るのは、かなり骨の折れる思いだ。 12時間程掛かり””New

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旅日記 ブッダガヤ インド編③

ブッダガヤ     列車に3時程揺られ、ガヤという駅へ到着する。 ここからブッダガヤまでは少し距離があるのでオートリキシャを捕まえた。勿論、交渉次第で値段は左右される。そこから15分程、穏やかな田園地帯を横目に走りブッダガヤに到着した。町自体は小さく、歩いても十分周り切れる広さだ。仏陀が悟りを開いた事で有名なこの地には沢山の寺院が建っている。ネパール寺、チベット寺、タイ寺、そして日本寺などルンビニと似通った所があるようだ。 オートリキシャの運転手に言われるがまま、少ししっかりとしたホテルに連れて行かれてた。どうやら客を連れてくると幾らかのマージンを受け取ることができるらしい。なので駅から走るオートリキシャは皆馴染みのホテルに連れて行こうとする。値段を聞くとやはり高い。と言っても二人で1500円程度なのだが。体調がまだ芳しく無かったということもあり、今夜は仕方なくここに宿泊する事に決めた。まあキッチリ交渉して安くしてもらったのだが。 辺りを散歩していると、まだ完全に整備されていない道路がちらほら。うっかり歩いていると足を踏み外し、水溜りに転落してしまいそうだ。この日は日本寺に足を運んだ。ちょうど訪れた時に座禅の時間が設けられていたので、二人でそれに参加した。あぐらを組み背筋を立て、手は握るか握らないかの状態で肘を軽く太ももに乗せている。目は完全には閉じず半目である。住職が言うには、姿勢は然程重要では無く、何も考えないことが大切なのだということだ。何も考えない、というのは思ったよりも難しい。普段は無意識のうちに色々な事を考えてしまっているようだ。だが、何も考えなくてもいいと言われると何だか気が楽になる。まるで物事が静止することを許されているような感覚だ。常日頃から何かしなければと考えてしまう自分にとっては、とてもいい時間なのだとその時思った。 20分ほど座禅を組んで(結局、無心の状態で居れたのは3分程だったが)別の日本寺へと向かった。ここの住職はとても親切な方で、話していると神戸の出身であるとのことであった。関西にも寺がありインドと日本を行き来しながらお勤めをしているらしい。仏教の成り立ちや概念などを色々と教えてくれた。日本人は自然と仏教を学校や社会で学んでいるのだと、とても興味深い内容であった。外国を旅行していると君の宗教は何だ、と聞かれることが多い。自分は仏教徒なのだと発言することに躊躇いが無くなった。 ホテルの部屋はとても快適で、久しぶりにゆったりと寛ぐ事が出来た。柔らかいベッドに綺麗なシーツ。部屋に備え付けられたトイレや温水シャワー、そんな母国では当たり前の事が今ではありがたい。だがここでダラダラとしているわけにもいかないので、次の日は安いゲストハウスを見つけて移動した。1人150ルピー、狭いが水周りが完備されているので申し分ない。 宿に向かう途中、道端にテントで店を構えるラッシー屋を見つけた。滴が垂れる程に冷やされた甘いラッシー。このクソ暑いインドでは心に沁みるようだ。 夕刻には雨が降り出したので宿でのんびりと過ごした。廊下の窓から外の道路を見る事が出来るのだが、こちらでは傘をさしている人が少ない。ずぶ濡れになっても気にはしないようだ。牛達もそれがどうした言わんばかりに、堂々と道を歩いていた。だって雨は命の水でしょ?という顔をして。 次の日に僕らはいよいよブッダガヤの本命、大菩提寺にある”菩提樹”を訪れた。 「菩提樹」 “仏教の開祖 ゴータマ・ブッダがその木の根元に座って悟りを得た菩提樹 (Ficus religiosa、インドボタイジュ)とその挿し木による子孫である。 菩提樹の名前は、菩提がゴータマ・ブッダの別名であったボーディー

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